干しいもヒストリー

干しいもが美味しい季節になりました。

干しいもは、1824年江戸時代の徳川11代将軍徳川家斉(いえなり)の頃です。

現在の静岡県御前崎市の栗林庄蔵が開発し、当時は「蒸し切り芋」と呼ばれていました。

明治時代に入り、生産方法が確立され明治37年の日露戦争の時は干し芋は『軍人イモ』と呼ばれるようになります。

干し芋といえば茨城県というくらい今では茨城県の生産量が最も多いですが、茨城県で干し芋の生産が始ったのは明治42年以降のことです。

今からほんの30年ほど前までの干し芋は、現在の干し芋よりも乾燥度合いが強く、もっと固くなるまで天日干しされていました。保存に重点が置かれていたからです。
今のようなしっとりとした干し芋は、干し芋が保存食よりも嗜好品として受け入れられるようになってきた時代の流れがあります。

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